外国のジョークに、こんな話があります。
老夫婦とロバの話。
ある老夫婦が、同じく年老いたロバと一緒に歩いていました。
最初は、二人でロバに乗っていたところ・・・。
「二人で年老いたロバに乗るなんてロバが可哀想だ、なんてひどい夫婦だ」と言われてしまいました。
それで今度は、夫が降りて妻だけがロバに乗って歩いていたところ・・・。
「妻だけロバに乗るなんて、なんて生意気な女なんだ」と言われてしまいました。
それではと、今度は夫だけがロバに乗って歩いていたところ・・・。
「妻を歩かせるなんて、なんてひどい夫なんだ」と言われてしまいました。
それならばと、今度は二人ともロバから降りて歩いていたら・・・。
「あの夫婦は、ロバの使い方も知らないんだ」と、また悪口を言われてしまいました。
結局この夫婦は、何をしても悪口の対象にされてしまいました。
結局この夫婦の悪口を言いたい人は、この夫婦が何をしても悪口を言ってしまうのでしょうね。
つまり、悪口を言いたい人は、悪口を言うことが出来れば良いのであって、その悪口の対象が何をしても何を言っても、結局は悪口を言ってしまうのです。
そして、悪口を言われてる対象になってしまっている人は、何をしても何を言っても、結局悪口を言われてしまうのです。
だから悪口を言われても、気にしないことです。
あなたのことを悪く言ってくる人は、ただ悪く言うことだけが目的なのであって、それ以外は何もありません。
あなたがその悪口を気にして、あれこれ悩んだり、あれこれ行動を改めようとするだけ無駄なことだと言えます。
悪口と言うことに限らず、世の中にはあなたのことを、色々と批判したり難癖をつけて来る人もいます。
その批判が正当な物であって、あなたを含め物事をより良くしようと思ってなされてくる物であれば、問題はありませんが。
中には、正当でない批判をしてくる人、物事をより良くしようとは思っていない人もいるので、注意が必要です。
つまり、注意しないといけないのは、「批判のための批判」をしてくる人です。
その様な人は、あなたを貶めて自分が優位に立とうとしている人です。
または、あなたを批判することで、自分の存在価値を知らしめようとしている人です。
往々にしてその様な人は、あたかも「あなたをより良くしようとして」批判しているようなふりをしています。
その様な人の話は、話半分にして聴きましょう。それは、単なるカモフラージュです。
その様な人とお付き合いしていると、対応に疲れてしまいます。
その様な人の批判は、批判の基準に一定の筋が通っていないので、一体何が悪いのか、どうすれば良いのかが分からなくなってしまいます。
それはそうですね、そんな人は批判するために批判しているので、いつもツッコミ所を探しているだけなので、筋が通らない批判をしてきます。
しかし、どうすれば良いのかが分からないので、言われた方はただ戸惑ってしまいます。そして、完璧主義になってしまいます。
「完璧」でないと、いつも批判されてしまうので、批判を避けるためには「完璧」を貫くしかないと思ってしまうからです。
そして、その「完璧主義」な人とは、「自分」の判断を禁止されてしまって、「自分」を見失ってしまった人なのだと思います。
だから、判断が必要になったときに、自分で判断が出来なくなってしまいます。
しかし、自分で判断が出来なくなったときに思いだしてみてください。
「自分」を失ってしまったのは、そして完璧主義に陥ってしまったのは、結局はあなたを批判することを目的にしていた人のせいなのだと。
本当はあなたは、もっと認められていたのかもしれません。
その「認められる」ことを省略されて生きてきていたので、自信を持つことが出来なくなってしまったのです。
だから、奪われた自信は、持つことが出来ます。
あなたは、「正しい」のです。