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完璧主義は、本当は「完璧」ではない。

前回のブログで、「世の中の役に立っている、役に立っていない」という考え方のお話をしました。

「役に立っている」か、「立っていない」か・・・。
こう考えてしまうと、世の中には「役に立っている人」と「役に立っていない人」の二種類の人だけが居るように見えてしまいます。
しかし、本当にそうでしょうか?

これ以外にも、「○か×か」「白か黒か」といった、相対する二つの概念で物を見る見方をよくします。
確かにこのように、物事を相対する二つの概念に分類して考えると、何かわかったような気持ちになります。
言わば混沌とした状況をスパッと一刀両断して、整理したような印象になります。

しかしこれは本当に、物事を整理してわかりやすくしたことになるのでしょうか?

「○か×か」。
確かにこの分類は、「正解か、不正解か」という概念分けになります。
正解は一つしかないのなら、それ以外の答えはすべて「間違い」になります。
しかし、本当に「正解」は一つしかないのでしょうか?
テストなら、正解は一つしかないかもしれません。
しかし現実の世界では、「正解」は一つしかないとは限りません。沢山の正解があるかもしれないし、正解など無いかもしれません。

「白か黒か」。
色の中には、完全な「白」と完全な「黒」は、一つずつしかありません。その間に、実に様々な濃淡の「グレー」が沢山あります。
そもそも、完全な白や黒は、概念の世界だけに存在する物です。すべては、様々な濃淡のグレーで成り立っています。

「0か100か」。
この「0」と「100」の間に、1から99までの数値があります。
100点は、満点で完璧です。
しかし、合格点が100点になることはありません。60点なり65点なり、途中の何処かを合格点にします。
仮に100点を合格点にしてしまうと、不合格ばかりになってとても苦しくなってしまいます。

「0か100か」の見方をしてしまうと、現実に目の前に有る世界の、そのほとんどを切り捨ててしまうことになります。
1から99までの数値は、「無い」ことにされてしまいます。
白と黒の間のグレーも、「無い」ことにされてしまいます。
つまり、「0か100か」の見方をしていると、「実際に存在するのに、世界のほとんどが見えてこない」ことになってしまいます。
これでは、見ているつもりでも、見ていないのと同じ事になってしまいます。

「0か100か」の見方をして、「100」を目指すという考え方が、「完璧主義」です。
「完璧主義」は、「100点」だけを合格点として認めるという考え方です。

そうしてしまうと、もうおわかりでしょう。
これは、世界を「真っ白」か「真っ黒」でしか見ないことになってしまいます。
完全な「真っ白」も「真っ黒」も、現実には存在しません。存在しない物を基準にして世界を見てしまうことになります。

ということは、「完璧主義」とは、「ありもしない完璧さを基準にして、現実の世界を見ない」というものの見方です。
言ってみれば、非現実的であって、「真に正しい」ものの見方ではありません。
そう言う意味で、「完璧主義は『完璧』ではない」のです。

「現実的」とは、言わば「完璧で無い世界や自分を許す」ことです。
切り捨ててしまっている物事を、ちゃんと見ることです。

確かに曖昧なままでは、何かわけのわからない部分が残されているように見えてしまいます。
それはえてして、気持ちの悪いものかもしれません。

しかし、「完璧主義」が高じて「潔癖」になってしまうと、世界はとても窮屈なものになってしまいます。
その窮屈さが、自分をも苦しくしてしまっていることに、気づいてみてください。

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