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いくら否定されても、「わたし」はここにいます。

私たちは子供の頃から、「世の中の役に立つ人になりなさい」と言われながら育ってきました。

そうですね、家庭でも学校でも、そして実社会でも。すべての場所で、「役に立つ人」であることを、私たちは求められてきました。
確かに、勉強をするのも、心身を鍛えるのも、すべては「将来世の中の役に立つ人になって、社会に貢献するため・・・」と言っても過言ではありません。
実際、その様に世の中の役に立っている人は沢山いますし、その様な人を目指して努力することは、とても素晴らしいことです。

しかしそれならば、すべての人が「今現在」、世の中の役に立っている人なのかというと、必ずしもそうではありません。
このブログを読んでいるあなた自身、「あなたは世の中の役に立っていると言えますか?」と聞かれて、必ずしも「はい」と応える事が出来るかというと、そうでは無いかもしれません。

「役に立っている人」?
そうですね、何か仕事をしている人?、素晴らしい実績を上げた人?、年収が何百万円以上ある人?、とても輝いている人・・・。?
まあ確かに、世の中に必要とされている人はいて、その様な人はとても賞賛されています。
その様な人は、「存在価値」を持っていると思われます。
それなら、そうでない人は、世の中に必要とされてはいないのでしょうか?

結論から先に言えば、「NO」です。
世の中の役に立っていようがいなかろうが、すべての人は、存在価値を持っています。
存在価値を持っているというよりも、「すでに存在してしまっている」と言った方が良いと思います。
世の中の役に立とうが役に立っていまいが、すべての人は「既に存在してしまっている」という事実は、動かすことは出来ません。
「存在してしまっている」のを、他人がとやかく言うことは出来ないのです。

そもそも、この「存在価値」というもの自体が、基準がありまいなものです。
往々にして、この「存在価値」とは、「その人の存在が、自分や世の中にとって都合が良い」ことを現わしています。
つまり、ここで言う「存在価値」とは、相対的な物です。

強いて言えば「存在価値」とは、「あなたはわたしにとって、そこ居ることが都合が良い」という意味です。
「都合が良ければ一緒に居て、悪くなったら居なくなってほしい」という意味になります。
つまり、「いわゆる存在価値」とは、対人関係に絡んだ相対的な価値です。
その様なもので、自分をはかる必要はありません。この「いわゆる存在価値」とは、「貢献価値」と言い換えることが出来ます。

しかし世間一般では、この「貢献価値」のことを「存在価値」と言っています。
そして時には、「貢献価値」を持たない人のことを、否定しきるような言動をする人たちもいます。

しかし、恐れることはありません。
いくら否定されても、あなたは、ここにいます。
その事実は、誰も否定する事は出来ません。

たとえ相手に嫌われようと否定されようと、それはその人にとってあなたの存在が都合が悪いだけであって、決してあなたそのものを否定しているわけではありません。
その様な人の言うことを真に受けて、自分で自分を否定してしまうことは、ないのです。

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