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自分を許してしまって、それで良いの?

前回の記事で、「自分を好きになるためには、自分を許すことが必要」と言いました。
と言うことは、「いいかげんなところで自分に妥協して、努力することを止めてしまうことになってしまうのではないか」、という意見も出てくると思います。

そうですね、努力することは大切ですね。私たちは、何時でも何処でも、「努力する」ことを求められてきました。
まず目標に達するためには、困難なことを克服することが必要です。そして、その困難を克服するために必要な事は「努力」です。
つまり、「妥協は許されない。途中で諦めてしまうことは、許されないこと」として、教えられてきました。

そこへ、「努力しない方が良い・・・ 」と言われてしまったのでは、ただ当惑するばかりですね。

しかし、「自分を許すこと」と「努力しないこと」は、イコールではありません。むしろ別物です。
努力するためにも、「自分を許すこと」が必要です。

「自分を許す」とは、言わば「自分というものを、どう捉えるか?」という視点を持つことです。
そしてその「自分」を、決して理想ではなく、「現実の自分」を「現実のまま」に見ると言うことです。
見るのは「現実の自分」なので、決して理想化された格好いい自分とは異なります。
至らないところ、不完全なところも含めて、それを「自分」だと捉えて、それを認めることです。

例えば、テストの点が悪かったとき。一般的には、満点の100点を基準にして、その足りないところを見つめてしまいます。
そして、その足りない部分は、「本来の自分ではない」として、どうして得点できなかったかに注目してしまいます。

しかしここでの「事実は」、50点なら50点を取った自分というものがいるということです。
それを、「いや、こんな自分は自分ではない」と否定してしまうと、この現実を認められなくなってしまいます。
つまり、100点の自分だけを見てしまって、そうでない自分を否定してしまうことになります。
そうなると、100点との差だけが見えてしまって、次の行動をとることが、ひどく大変なことに見えてしまいます。
その差があまりにも大きいと、努力することすら嫌になってしまいます。

しかしここで、50点の自分を認めた(つまり許した)ならば・・・。
まず、50点までに得点を積み上げた、自分を見ることが出来ます。
そして、その様な自分を認めて、さらに次の手段を考えることが出来るようになります。
つまり、物事を引き算ではなくて、足し算で捉えるわけですね。
そう考えると、次の目標・その次の目標を設定することが出来て、次の行動を起しやすくする事も出来ます。

この「次の行動」が、努力です。
ですから、自分を認めることと努力することは、必ずしも相容れないわけではありません。
むしろ、効果的な努力をするためには、自分を許すことが必要になってくるとまで言う事が出来ます。

このような、近い目標を設定して徐々に目標に近づくようにすると、より具体的な努力をすることに出来ます。
達成できないような大きな目標を設定しても、それに対する努力は、現実性の無いものになってしまいます。
このような現実性のない努力は、往々にして「努力すること」自体が目的になってしまいがちになります。
努力をするにしても、現実の自分を許すことで、はじめて効果的に努力することが出来ます。

「自分を許す」とは、決して怠けたり、自分を甘やかすことではありません。
むしろ冷静に、シビアに自分を見ることで、より自分を向上させることが出来ます。
厳しく自分を見つめ直すためにも、自分を許すことが必要です。

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