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分断の本質 本当に問題を解決しようと思うのなら、喧嘩をしている場合ではありません。

世の中、対立だらけです。世界のあちこちに意見の異なる人がいて、お互いに対立し合っています。

政治上の対立、宗教上の対立や、思想信条の違いなど、世界のありとあらゆる場所に違いがあって、それが対立につながっています。対立するだけならばまだましですが、それが分断につながってしまって、互いに会い争うような状況になってしまっています。

確かに、多くの人がいればその人数分の意見の相違は生まれます。意見の相違は、それ自体では問題ではありません。しかし、その意見の違いが「争い」に発展してしまうと、これはもう収拾が付かなくなってしまいます。

一度「争い」に発展してしまうと、その争いは延々と続き、もはや誰も止めることが出来なくなるようになってしまうことも有ります。

このような争いを避けるには、どうすれば良いのでしょうか?

確かに、異なる意見は異なる意見のまま放っておいて、お互いに感知しないという方法もあります。そうすれば、表面上は平和でしょう。

しかしそれでは、解決にはなりません。お互いに塀の向こうとこっちで、別々の方向に言いたいことを言っているような物です。意見は異なったまま、お互いに交わることはありません。本当に、それで良いのでしょうか?

実は、異なる意見を戦わせている人には、二つのタイプがあります。
一つは、本当に異なる意見を統合して、新たな解決策を見つけようとしている人。
もう片方は、「ただ、自分の意見を言いたいだけの人」です。

厄介なのは後者、「言いたいだけの人」です。
こういう人は、問題を解決しようという意思はありません。ただ、言いたいだけです。
それだけならばまだしも、意見の異なる人を非難しよう、すなわち、相手を叩こうとしているだけの人です。

そのような人は、問題の解決など二の次、どうでも良いことです。ただ、相手を非難できれば良いのです。
もっというと、ただ自分が目立って注目を集めれば良い。嫌いな相手を、凹ませることができればそれで良い、そう言った人たちです。
だからむしろ、対立は願っても無いこと、分断を煽れば煽るほど良い、ということになります。

ただこのような人は、問題を解決しようとしている人にとっては、むしろ迷惑です。そのような人はさっさと見分けて、むしろ距離をおいた方が、賢明だとも言えます。

むしろ、問題を解決するためには。解決しようとしている人だけでは、それは困難な場合もあります。
例えば、自然環境を改善しようとするならば。自然を保護しようとしている人が声をあげただけでは、問題を解決することはできません。
むしろ、自然環境に悪影響を及ぼしていると思われる人たち、例えば企業や業界団体にも協力を求める必要はあります。

もしそのような場合に、相手の企業を非難してしまったら…
企業側の協力を取り付けることは、出来なくなってしまいます。それでは、問題の解決にはなりません。

意見の異なる人と戦って、相手を排除することは、それはとても困難なことです。
相手は相手で排除されることを避けるために、全力で反撃してくるでしょう。これでは単に、押し合いをしているだけになってしまって、問題の解決は、かえって遠ざかってしまいます。
そのような、「無駄な争い」をしている間に、より現実的な解決策を探った方が、賢明だと言えます。

争いを好む人は、こうやって戦っている自分を見せて、「どうだ、おれはすごいだろう!」と、自分に酔いたいだけだと言えます。
しかしそれでは、本当にその問題に直面して、困っている人たちを見捨てることになってしまいます。

本当に問題を解決するのなら、まずは話し合うこと、協力し合うことが大切です。
つまらない意地の張り合いをして、対立している暇などないはずです。

世の中に見かける分断は、「対立したい人が対立できるように、状況を煽っている状態」なのだと言えます。
つまり皆、自分をわかってもらいたくて、自分の立場を主張しているだけなのです。問題を解決しようという気持ちは、もうとう持っていないと言うべきです。

確かに、自分が直面している問題を社会に認知してもらうために、声をあげる必要はあります。声を上げなければ、誰も振り向いてはくれないからです。
人を振り向かせるためには、その問題を、センセーショナルに訴える必要もあります。

しかし、その問題を解決するためには、対立しているだけではいけません。物事を前に進めるためには、時には対立する相手さえも巻き込んでいく必要さえあると言えます。

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