Blog
ブログ

たとえ失敗をしても自分を責める必要はありません。

例えば、失敗してしまったとき。何かが、上手く行かなかったとき。予想していた結果とは、違う結果になってしまった時・・・。私たちは、よく自分を責めてしまいます。

「何で、こんな事をやってしまったのだろう?」、「もっと違うやり方があっただろうに・・・。」、「いつも、こんな風。だから、私はダメなんだ!」こんな風に、自分に対してつぶやいてしまいます。
しかし、それは仕方のないことです。仕方のないことではありますが、そんなに自分を責める必要は、ありません。

そうですね、確かに反省することは大切です。失敗してしまったのに、それを放っておくと、また同じ失敗を犯してしまうかもしれません。
しかし反省したらそれ以上、このネガティブな気持ちを引きずってはいけません。次に進みましょう。

往々にして私たちは、何か良くないことが起きると、自分を責めてしまいます。自分を責めて、その辛い気持ちを、自分の中に閉じ込めてしまいがちになります。
そしてそのようなときは、上の行に書いたような、自分に対して否定的な言葉を次々に紡ぎ出しては、それを自分にかけてしまいます。

しかしそれは、自分のためにも、やろうとしていたことのためにも、良いことではありません。
自分を責め始めてしまうと、自分に対するネガティブな感情が、どんどん増幅してしまいます。
さらに、自分に対してネガティブな言葉をかけてしまうと、そのネガティブな言葉が繰り返し頭の中にこだましてしまって、さらに次のネガティブな言葉を生み出してしまいます。そしてその時に恐ろしいのは、そのネガティブな言葉にしたがって、行動にまでネガティブな感情が影響してしまうことです。

その様な状況になってしまうと、私たちはまるで底なしの蟻地獄の巣に引き込まれていくような、際限の無い絶望的な感覚に陥ってしまいます。

しかしそれもこれも、実は不要なことです。
いくら落ち込んでもへこんでも、それだけでは物事は好転しません。
自分を責めている間は、自分を責めることだけに集中してしまうので、それ以外の行動を取ることは出来ません。自分を責めることに集中している暇があったら、さっさと解決策に乗り出した方が賢明です。
サッカーの試合で、開始5分で失点してしまっとしても、それを嘆いている暇はありません。まだ試合は続きます。

自分を責めたくなってしまったときは、自分が一体何のためにそれをやっているのか、「目的」を思い出してして下さい。
その「つまずき」が、「目的」を遂行するために、どれほどの障害になっているのか?もしかしたら、それは軽微な物かもしれません。たとえ重大な物でも、「目的」を遂行することの方が大切なはずです。
そして、その「目的」の前には、どんな失敗であっても、それは小さな物のはずです。

おそらく失敗にこだわってしまうのは、「完璧主義」にとらわれているからです。
完璧主義の人は、或る行為・その行為を構成するすべての物事に「完璧」を要求してしまうので、たとえわずかな失敗でも、全体の「完璧」が達成されなくなるので、全体が失敗したように感じられてしまうのです。

細部の「完璧」は、度外視しましょう。全体として、「なんとか上手く行っていれば良い」のです。

そのためには、物事全体を、大きな「目的」というくくりで見てください。そうすれば、その「目的」に対して自分が今関わっている細部が、一体どれほどの重要度を持っているのか、それを見極めることが出来ます。
「目的」の前には、自分が抱いている感情は、小さな物になるはずです。その「小さな物」にこだわって自分を責めてしまうのは、「目的」と「手段」を倒錯して認識していると言うことです。

小さな「自分」にこだわらない。つまり「自分」を、「いったん脇に置いておく」ということです。
つまりこれは、自分を客観的に見ると言うことです。
失敗のような、言わば「行き止まり」に突き当たってしまったときは、とかく自分を客観的に見ることが出来なくなってしまいます。
だからこそ、「目的」という大きなくくりを思い出すことが、大切です。

ブログ一覧

Contact
お問い合わせ

ご予約・ご相談は、お問い合わせフォームより受け付けています。
まずはお気軽にご相談ください。