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悪いところを治していくと、それは「無個性」になる。

自分に自信を持つことが出来ない理由に、どんなものがあるでしょうか?
例えばよくあるのが、「自分が、世間一般で『かっこいい』と言われているような人間ではないから」という理由もあると思います。

そうですね、容姿とか収入とか、学歴とか、世間一般で「良い」と言われている人が居ますね。
または、趣味とか、運動能力とか、才能とか特技とか・・・。「かっこいい」と言われるものを持っている人も、いますね。
さらには、何かとても素晴らしい実績を残したり、ある事に一生懸命打ち込んでいたり、そういう物を持っている人も居ますね。

確かにそう言う人たちは、何かと話題にもなったり、世間で評価されたりして、とても輝いて見えますね。
そして、そう言う人になることを目指して、努力することも、それはそれで素晴らしいことでもあります。

しかし、その「努力」をするときに、努力の仕方を間違えてしまうことがあります。
それは、「悪い部分を直そうとする」というやり方です。
もっと言うと、「ある理想」と比較して、その「理想」に対して、足りない部分を補おうというやり方です。

確かに、ある基本的な技量で、一定のレベルに達していないといけないということはあると思います。
その一定のレベルに達した上でないと、勝負をかけることも出来ないという世界もあるはずです。

しかし、ただ言えるのは、「悪い部分を打ち消して、世間一般と同じレベルになる事は、結局は『他人と一緒』と言うことになってしまうのでは?」ということです。
つまりそれは、「無個性」と言うことです。
無個性とは、「誰でも良い、誰でも結果は一緒。つまり、他の誰とも換えの効く人」ということになってしまうと言うことです。
一生懸命努力した結果、「他人と同じ」になってしまっては、それでは意味がありません。

例えば、とても癖の有る字を書く人が居たとします。
その人は、「そんな癖字ではいけない。もっと書道の基礎を学んで、綺麗な字を書くようにしなければ」と思って、それこそ文字の一点一画までも注意して、書道の基礎にしたがった字を書くようにしました。
しかし出来上がった書を見てみると・・・。何かとてもありきたりな、誰が書いても同じような書になってしまって、面白みといったものが無くなってしまっていました。
そんなくらいなら、もともとの癖の有る字の方が、まだ面白かった・・・。という結果になってしまいました。

これはある意味、とても極端な例ではありますが。
自分が思っている「劣っているもの」とは、得てしてその人の「個性」のような物だったりします。
その「個性」を潰してしまうのは、それはとても惜しいことです。

「劣っている」のではなくて、「変わっている」のです。その「変わっている」というのは、しばしば良い意味だったりします。
「変わっている」のを「劣っている」と思ってしまうので、自信がなくなってしまうのです。

とは言っても私たちは、とかく「変わっている」のを「劣っている」と思ってしまって、それを矯正しようとします。
しかしそれは、ちょっと視点を変えてみて下さい。
「変わっている」のは、実はとても「優れている」のかもしれません。
これは単に、負け惜しみをすると言う事では無くて、「見方を切り替える」ということなのです。

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